タイ中学3年生13名の支援のお願い
今月の3月15日に後期の学期も修了し、5月の新学期を待つばかりになりました。
しかし13名の中学最終学年の奨学金が未だ決まりません。奨学金がなければ中途退学の可能性がある生徒たちです。
この13名に関し、日本のタイの奨学金提供者は、卒業までの三年継続支援を約束し、ダルニー奨学金の寄付を開始しました。
私達もそのつもりで生徒を選考し、奨学金を提供してまいりました。
奨学金寄付の方法として、3年分一括してご寄付する方と毎年ご寄付する方がおります。
毎年ご寄付する奨学金提供者の中には、何らかの理由でお辞めになる方がおります。あるいは音沙汰がなくなる方もあります。
2年目の寄付をお辞めになる方の場合は残り2年間の奨学金が必要であり、3年目でお辞めになる方は最後の年、1年間の奨学金必要です。
今まで、私達は、一年のみの奨学金提供者、募金箱や書き損じハガキキャンペーン等で、このような生徒の支援をしてまいりました。
しかし、今年は、既に充当すべき余裕がなく、残り13名の奨学金が足りません。
ダルニー奨学金を開始した30年前の1988年のタイ東北・イサン地方の村々は、都市と農村の格差は顕著で、水牛と人手が必要な農村社会であり、豊作貧乏、不作貧乏で、村人の皆が一様に貧しかった時代でした。収穫後、米を売り、収入を得る。まだ電気もなく、テレビもなく、各家庭では機織りをしていました。
農閑期、村の仲間と一緒にサトウキビの刈り入れなどの出稼ぎに行った時代であり、どこの家庭も子供が多く、中学校に行けるのは勉強ができ、豊かな自作農の子供でありました。
当時のイサン地方の中学進学率は20%弱で、最初の20年間は、多くの日本人の方々が奨学金を提供してくださいました。
経済発展に伴い電気が入り、石油ランプが蛍光灯に代わり、多様な電化製品とともにお金が日常生活で必要になりました。
農閑期のみの出稼ぎから、都市で職に就き、実家に仕送りをする時代へ時は流れ、水牛に取って代わり、クボタ・バフャーローが登場し、現金がなければ、農作業も難しくなった時代へと変遷しました。
日本でも、じいちゃん、ばあちゃん、かあちゃんが農業に携わる3ちゃん時代がありましたが、イサン地方では特に土地無し農民は両親が出稼ぎに行き、じいちゃん、ばあちゃんと子供という時代に入りました。今でもそのパターンが続いているといえましょう。
今は、社会全体として、確かに物質的に豊かになました。
制服を着て通学している限り、その貧困は見えません。よくよく見ると豊かな社会の貧しさを知ることとなります。
個々人、皆、それぞれ背景が違いますが、両親に課題があり、祖父母や親戚が面倒をみるケースが多いのが実態です。
中学を卒業すれば、自立の人生が待っているのかもしれません。
もし、この13名の生徒たちに奨学金に給付されれば、各学校で6月初旬に奨学金授与式が施行され、奨学金が入った銀行通帳を手にいたします。
これらの生徒たちの心のときめきを想像してみてください。
この銀行通帳は一生の宝物となるでしょう。そして来年の3月には必ず卒業することでしょう。
学校へ通いたいタイ中学3年生へのご支援をお願いします。