タイ もっと勉強したい その③
誰かに支援の手を差し伸べるとき、そこに国境はありません。支援したいというあなたの気持ちが、遠く離れた地の子どもたちに届き、彼らは学ぶことの楽しさを知り、夢をもつことができます。どうか貧しさや生まれを理由に夢をあきらめることがありませんように。今回はタイの子どもたちと奨学金担当の先生の声をお届けするシリーズ第三弾です。
■ バイカ(チチカ・シカモク)さん(新中学1年生)
私は竹で作られた古い家で祖母と暮らしています。祖母は、月に600バーツ(日本円で約2,100円)しか年金を受け取ることができません。
両親は家から遠く離れたトウモロコシ畑で農業を営み、一晩中働いています。
また、私には兄と姉がいます。二人はすでに中学校を卒業しましたが、進学はせず、現在は家族を支えるためにバンコクで働いています。これらの収入だけでは生活費はまかないきれないので、週末には私もほかの農家で働き、一日につき200バーツ(日本円で約700円)もらいます。
稼いだお金は学校に預金し、学校で必要なものを買っています。GPA(学業平均値)は3.22です。私は歌うことが好きで、地域の歌のコンテストで代表として出場し、そして、優勝することができました。将来は看護師になって、困っている人を助け、また、私の両親が病気の時は看病したいです。
私は奨学金を受けることができて大変うれしく思っています。奨学金で、教科書など学校で必要なものが購入できます。そして一緒懸命勉強することを約束します。支援者の方に感謝の気持ちを伝えたいです。私はこれからも夢を追い続けていきたいと思います。
■ ソーンサワン・パンドゥアングさん(中学3年生)
はじめに、支援者の方々と民際センターの方々、私やほかの子どもたちを支援して下さったことに御礼申し上げます。奨学金のおかげで家族の負担が減りました。
初めは、私は奨学金を受けることができるかどうか自身がありませんでしたが、先生から良い報告を頂くことができ、とってもうれしかったです。
私の両親は農家を営んでいます。両親は雨季にはお米を育て、それ以外の時期は、低賃金労働者として働いています。いつ収入が全く無くなる時がくるかわからない状況において、民際センターの奨学金を受けられたことは私にとって貴重なものでした。
私は奨学金で制服や靴下などの学校で必要なもの買いました。もし、私がこの奨学金を受けることができなかったら、この楽しい3年間を過ごすことはできませんでした。そして両親は私を学校に通わせるために借金しなければならなかったかもしれません。
私は数か月後に中学校を卒業し、公立高校に入学する予定です。将来は、看護師か、小学校の先生になりたいです。小学生はわんぱくなところもあるけれど、かわいいと思います。私は小学生に家族や地域にたいして思いやりを持てる人であることが、いかに大切であるかを教えたいです。この夢が実現するかどうかわからないのに、私を学校に通わせるために一生懸命働いてくれる両親には申し訳ない気持ちでいっぱいです。時々、中学校を卒業したら、高校進学をあきらめ、工場で働こうかと考える時があります。進学できたら、真面目に、一生懸命勉強するつもりです。母はいつも私に、意志のあるところに道はあると言います。
最後にもう一度、私に学ぶ機会を与えてくださった支援者に感謝を申し上げたいと思います。
自分の利益より、みんなのためを思って行動できる支援者の方の様な人になることを約束します。
民際センターの奨学金は、貧しい地域の恵まれない多くの子どもたちにとってすばらしい存在です。
この貧困における経済的地位が家族に多くの影響を与えています。両親が離婚する場合もあれば、仕事を見つけるのが難しい親たちもいます。
多くの親は、子どもたちを祖父母に面倒を見てもらわざるを得ません。また、学校から遠く離れた地域に住んでいて、学校に通えない子どももいます。
他の奨学金は1年間だけのものや、ほんの数人にしか与えられないのですが、民際センターの奨学金は毎年受け取ることができるため、本当に子どもたちの助けになっています。
これは大きな違いなのです。民際センターの奨学金は子どもたちにとって本当に役に立っていると私は感じています。
子どもたちは奨学金を必要な文房具を買うために使用しています。私は勉強が得意ではない子でさえ授業に一生懸命に参加していることに気が付きました。
子どもたちを支援してくださった民際センターの方々に感謝しています。そして、これからもこの制度が続くことを切に願っています。