ミャンマー

【ミャンマーってどんな国】

【ミャンマーの教育事情】

【EDF-Myanmar(ミャンマー事業所の紹介)】

【ミャンマーの奨学生】

ミャンマーってどんな国

ミャンマー

 

お知らせ 

 

ミャンマーの現状

国軍によるクーデターから2年弱、当初毎日のように報道されていたミャンマー情勢も、度重なるコロナの波や、ロシアによるウクライナ侵攻などのニュースにかき消され、今ではほとんど見ることがなくなりました。
実際のミャンマーの現状はどうなのでしょうか。ヤンゴン市内にあるEDF-Myanmar(ミャンマー事業所)からのレポートをご紹介します。

2021年2月当初は、最大都市ヤンゴンなどで、クーデターに反対し民主化を求める市民らによる大規模な抗議活動が広がり、軍が弾圧に乗り出して、多くの市民が犠牲になりました。クーデターから2年が経ち、大通りはかつてのように車が渋滞し、ショッピングモールは週末になると、人でにぎわうようになりました。一般市民は、日々の生活のため職場復帰しています。コロナ規制も緩和されつつあり、市内では以前と同じようなけん騒と日常が戻りつつあるように見えます。しかし、日が落ちて暗くなると、人や車の数は急に少なくなります。軍や警察の取締まりが厳しいほか、軍とのいざこざに巻き込まれるのを避けるためのようです。一方、地方では軍と民主派の武装組織の衝突が激しくなっています。特に民族武装組織支配の地域ではPDF(People’s Defense Forceの略、国民防衛隊)、民族武装組織と国軍の戦闘が続いている地域もあり、地域住民は避難生活を余儀なくされています。コロナによる経済の停滞、クーデターによる外国資本の撤退、さらにウクライナ問題によるエネルギー不足など、経済の悪化で収入や職を失う人が多く、強盗などの犯罪も増えて治安が悪くなっているようです。
決して市民による民主化の火が消えたのではなく、生活の為に、働かざるを得ない。それが現状のようです。

学校の現状

クーデター当初は、教師を含む公務員、医療関係者などの中には、職務を放棄する不服従運動(CDM)を続けている人たちが多くいました。多くの教師がCDMに参加し、全教師の3割程度に相当する約12万人が処分退職されたと言われています。現在は、教師自身の生活の問題や子どもたちに対して教育の機会を損失させたくないなどの事由により、学校では一部CDMに参加していた教師の復帰もあるようです。また、政府は、教壇を去った教師の穴を埋めるため大学卒業者を対象に日払いの教師を採用していますが、全体的に教育の質の低下が懸念されています。
コロナ禍においてほぼ1年間近く休校が続いていた学校ですが、クーデターによる政治的変革や社会不安の中、2021年6月に軍の主導により学校が再開しました。しかしながら、国の政策により進級を見送り、全生徒が実質的に留年になりましたことは、皆様にもお伝えし、ご理解をいただいている通りです。

軍主導による学校再開への不安、それに参加した教師の解雇、長期化している混乱や長引く新型コロナウィルスの影響による経済の疲弊で、学業より生活が優先されてしまっています。学校が再開しても戻ってくる生徒は全員ではなく、多くの生徒の中途退学が現実化してしまい、当時の退学率は50%近くまでになりました。半数近くの生徒が学校に戻ってこなかったことになります。
生徒も少しずつ増えてきましたが、2022年度の就学率は、まだコロナ前、軍事クーデター前の水準には戻っていません。

<EDF-Myanmar(ミャンマー事業所)支援地区の昨年度からの生徒の増加数>

チャンタピン(Htan Ta Pin)地区 5校の生徒数 33%増、 教師の人数 49名
チャウンタン(Kyauktan)地区 6校の生徒数 35%増、 教師の人数 117名
タンリン(Than Lyin)地区 1校の生徒数 42%増、 教師の人数 14名

 

また、深刻なエネルギー不足や、経済の悪化による電力不足により、ヤンゴン市内でも度々停電となり郊外にある学校では始業前に停電し、1日中停電していることも多いそうです。生徒たちは窓から入ってくる日光で本や教科書を読み、授業を受けるということが残念ながら日常化しているようです。

そんな中でも、EDF-Myanmar(ミャンマー事業所)、EDF-Japan(民際センター)は、学校の協力のもと、本年度も奨学金の授与式を開始しています。少しずつではありますが、子どもたちの笑顔が戻ってきたことを、とてもうれしく思っています。

 

ミャンマーの子どもたちの教育支援を続けます

クーデター以降、軍による政権が確立され、アウンサンスーチー氏率いる国民民主連盟(NLD)の幹部が拘束された状態が続いているのは事実であり、国として、ミャンマーに対する支援は一切すべきでない、というご意見があることは理解しています。しかしながら、子どもたちにその罪はあるのでしょうか。実際のミャンマーの市民や子どもたちの現状をEDFグループは見てきています。教育や医療などの分野での人道援助は続けなければいけません。特に教育を受ける権利は、政治とは無関係であり、子どもたちは混乱が収まった後に学校へ通えばいいというわけにはいかないのです。子どもたちから教育の機会を奪ってしまってよいはずはありません。

民際センター、EDF-Myanmarを含むEDFグループは、ミャンマーの子どもたちが安心して学べる日が来ることを皆様と一緒に願っています。また、ミャンマーの子どもたち、奨学生たちの学びたいという意志と権利を守るため、民と民を繋ぎ、そして支援を継続していきます。どうか、皆様も継続的なご支援とご協力をよろしくお願い申し上げます。

 

 

ミャンマー関連ニュース Back Number: 

2022年2月2日: ミャンマー クーデターから1年

2021年12月3日: 学校が再開しました

2021年10月20日: 【Vol.5:ミャンマー】不安定な状況の中で

2021年9月9日: ミャンマーの現状報告とお知らせ

2021年4月20日: ミャンマーの子どもたちの教育支援を続けます

2021年3月16日: 子どもたちが学校に戻るその日まで

2021年2月4日: お知らせ~ミャンマーの支援について~

 

 

----------------------------------------------------------------------------

人口の7割はビルマ族。そのほか、100もの少数民族が暮らしていると言われ、カレン族・モン族・パダウン族・カチン族・パオ族などさまざまな民族が独自の文化を守りながら生活しています。
面積およそ67万7700平方キロで、日本の約1.8倍。北緯10度から28度にわたる南北に細長い国です。北はインドと中国、西はバングラデシュ、東側はラオスとタイに接し、南はベンガル湾とアンダマン海を望みます。

【基本情報】

面積:68万平方キロメートル(日本の約1.8倍)

人口:5,337万人

一人当たりのGDP:1,441米ドル

(出典 外務省)

【支援地域情報】

ミャンマー

民際センターでは、ミャンマーのチャウンタン地区(Kyauktan)のティワラ(Thilawa)村とチャンタピン(Htantapin)地区のチャンタピン村の各中学校の奨学金サポートを実施しています。

【軍事政権と民主化】

ミャンマーは1948年に英国の植民地から民主主義国として独立しました。しかし、政治が混乱し、1962年にネ・ウィン将軍が軍事クーデターを起こし、ビルマ社会主義計画党を結成して1962年に大統領となり、軍が実権を握る社会主義政権が成立しました。
1988年,全国的な民主化要求デモにより26年間続いた社会主義政権が崩壊したが、国軍がデモを鎮圧するとともに国家法秩序回復評議会(SLORC)を組織し政権を掌握し、軍政が始まりました。軍の支配下で言論の自由はなく、出版物は政府が検閲し、許可がないと出せませんでした。
1990年には総選挙が実施され,アウン・サン・スー・チー氏率いる国民民主連盟(NLD)が圧勝したものの,政府は政権移譲を拒否。
アウン・サン・スー・チー氏率いる民主化勢力は軍政による厳しい弾圧を受け,2010年までの間,計15年に亘る自宅軟禁に置かれていました。
それでも、独立の英雄アウンサン将軍の長女でもあるアウン・サン・スー・チー氏は、軍政に反対し続け、91年にノーベル平和賞を受賞。
国民の尊敬を集め、国際社会も軍政に経済制裁などで圧力をかけました。

2011年に軍政は、テイン・セイン大統領に権力を譲り、民政移管が実現し、政治犯の釈放,報道の自由化,少数民族武装組織との停戦交渉等を進め,民主化と経済改革を推進しはじめます。しかし、軍政の元幹部で、国会の4分の1の議席を軍に割り当て、副大統領や国防、内務などの3大臣も軍が決められるといった軍が政治に関わる仕組みは変えなかったのです。2015年、総選挙が開催され、アウン・サン・スー・チー議長率いるNLDが大勝。アウン・サン・スー・チー氏側近のティン・チョウ氏を大統領とする新政権が発足します。アウン・サン・スー・チー氏は、国家最高顧問,外務大臣及び大統領府大臣に就任。ミャンマーにおいて約半世紀ぶりに国民の大多数の支持を得て誕生した新政権は、民主化の定着、国民和解、経済発展のための諸施策を遂行しています。しかしながら、大小135の民族がいるとされ、少数民族の自治拡大を訴える武装闘争も続いていて、近年は多数派の仏教徒とイスラム教徒の間で衝突などがあり、2018年、ラカイン州北部における治安拠点への連続襲撃事件が発生。その後の情勢不安定化により,70万人以上の避難民がバングラデシュに流出しています。民族や宗教の問題のかじ取りも難しいですが、経済を立て直しとともに、貧しい人の生活を向上させるため、教育の重要性がますますたかまってきました。しかしながら、2021年2月1日、NLDが大勝した選挙が違法であるとし、軍によるクーデターが勃発し、アウン・サン・スー・チー国家顧問兼外相ら政権幹部は拘束され、再び軍が実権を握る政権を一方的に樹立しました。今現在も民主派による、抗議デモなどと軍の衝突は続いています。

ページのトップへ戻る

ミャンマーの教育事情

【現地の教育の概要と特徴】

学校制度 5・4・2制
義務教育期間 義務教育制度は導入されていない。
学校年度 6月初め~3月中旬
学校年度 【3学期制】
1学期:6月~10月
2学期:11月~12月
3学期:1月~3月(4、5月が夏休みとなる)
教育概要・特色 現在のミャンマー学校教育制度は、初等教育と中等教育からなっている。初等教育機関には、小学校5年間、中等教育は、中学校4年間、高等学校2年間および各種職業学校がある。高等教育機関には、短期大学、大学がある。各学校はすべて政府の統括下にあり、教育方針や教育課程などは教育省が管轄している。
政府は1980年代から初等教育の充実に力を入れており、開設した小学校の数は31,496(1989年)から36,155(2009年)まで増加し、また、小学校の就学率は91%(1999-2000)から、96.56%(2004-2005)に改善している。2001年度からは、1年生から11年生までの進級および11年生修了について、各教科修了テスト及び学年末試験により児童生徒の学力を評価する「学力継続評価制度」を実施している。留年者を多く出していた学年末試験による進級制度は1997年度までに廃止された。大学入学試験については、11年生卒業と大学入試を兼ねた、ミャンマ-試験委員会による「全国共通試験」が実施されている。
ミャンマーは仏教国でもあることから、一般的に親は教師に協力的であり、親子とも教師に対し尊敬の念を持って接している。また教育省に承認された宗教省の僧院教育も存在しており、僧院長たる僧侶が寄付金等で経営をする僧院付属小学校、中学校、高等学校がある。これらの学校は、生活に困窮している子供たちの就学を目的としており、学費は無料となっている。僧院付属学校数はミャンマー全国で1402校(2009-2010)ある。

【現地の学校段階別教育の概況】

義務教育 義務教育制度はいまだ導入されていないが、5歳に達したすべての児童は小学校に入学する権利が認められている。
年間授業日数は200日前後となっている。
小・中・高校とも、定期試験の成績によっては進級・卒業できない場合もある。
義務教育の学校段階種類および修了状況 小学校:5歳~9歳(第1~第5学年)就学率男子78% 女子84%
中学校:10歳~13歳(第6~第9学年)就学率男子43% 女子46% 
カリキュラム・教授言語 小学校は、1時限30~35分で、最低週40時間、中学・高校は、1時限45分で、最低週35時間。
義務教育段階の学費 【授業料】
小学校は無償、
中・高等学校では、学年が上がるにつれて、学費も上がる
(毎月の学費は、6年生は500チャット、7年生は600チャット、8年生は700チャット、9年生は800チャット、10年生は900チャット、11年生は1000チャット)
【その他の費用】教科書費、文房具費、学校改修費、スクールバス代等(金額は学校により異なる)
スクールインフォメーション 小・中学校では出欠、遅刻のチェックは非常に厳しい。
服装はいずれも制服を着用。通信簿による成績評価が行われる。1クラスの人数は40~60名と比較的多い。

(出典:ユニセフ子供白書2019)

ページのトップへ戻る

3人の子どもの塾の費用に月35ドル

EDF-Myanmar(ミャンマー事業所の紹介)

【ミャンマー事業所長ゾーゾーからのメッセージ】




ページのトップへ戻る

ミャンマーの奨学生

奨学生の声 <リンクはこちら>

【奨学金申請中の子ども】

マウンエミンソさんとマオハマーチンさん

ミャンマー奨学金申請中の子ども

ヘインニットピン村のマウンエミンソ君(12歳)とマオハマーチンちゃん(11歳)は今年6年生。
二人の両親はどちらとも農作業の日雇い労働者で、子供を学校に送るのが経済的に困難です。
お姉さんのマエイミチンちゃんは5年生の時に学校を止めて、靴工場ではたらかないといけなくなりました。
二人の家は村の外れにあるので、学校に通うには徒歩で2つも橋を越えなければなりません。
彼らは貧しいですが、一生懸命勉強を続けています。
いくつか賞を受け成績もクラスでトップになり、2012年~2013年の間奨学金を受けることになりました。「お姉さんが学校を止めて働いてくれたおかげで、ここまでなんとかやってこられました。奨学金を受けられるようになりこれからの勉強への意欲がわいてきました。支援してくださった方にとても感謝しています。しかし今後、家族を支える為に私達も働くとこになってしまうのが不安です」

マンウンサンウィンさん

ミャンマー奨学金申請中の子ども

ハタンタピン都区ダナエビ村に住む、マンウンサンウィン君(13歳)は6年生の勉強をしています。
彼のご両親とお兄さんは村の雑務作業をしており、現金収入は月平均わずか90,000ヤット(100US$)です。
家族は日払い労働者なのでみんなが一緒に住むことが出来ず、マンウンサンウィン君本人は村のお寺にお世話になりながら修道憎のお手伝いをしています。
それでも彼は意欲的に勉強を続け、いくつか賞を受け取り成績もクラスでトップにいなりました。
「僕は家が貧しいけれど、一生懸命勉強をしてクラスで一番になれました。これからももっと上のレベルの教育を受け、いい仕事を見つけ、老いてゆく両親や兄弟を支えられる様になりたいです。
僕やクラスメートのみんなに奨学金を提供してくれた皆さんにとても感謝しています」

【現奨学生の紹介】

イン・ジン・メイさん

イン・ジン・メイさんは、現在おばあちゃんと叔母さん、そして兄、妹の3人兄弟で暮らしています。
両親は離婚しており一緒に生活はしていません。生活は非常に苦しく全員が助け合いながら暮らしています。
そんな中でも、イン・ジン・メイさんはとても勉強が出来ると先生も言っていて、学校から成績優秀賞の盾やトロフィーを貰うほどです。
今年無事中学を卒業出来る予定で、高校への進学も、先生の努力もあり、何とか実現できるとの事です。将来は、医者になり、他の人たちを沢山助けたいとの夢を持っています。
もし、中学4年間、奨学金が貰えなかったら、勉強に専念することも出来ず
きっと夢を持つことも出来なかった。 是非とも、日本の支援者の方、そしてEDF-ミャンマーの活動にお礼が言いたいとの事でした。


 おばあちゃんと中学校の先生と

 学業優秀の盾とトロフィー
ネ・ヌヌ・トエさん

ネ・ヌヌ・トエさんは、5人兄弟の4番目で、兄3名と妹1名がいます。兄3人は、働くために、すでに家を出ていています。両親は健在ですが、いずれも朝早くから夜遅くまで、農園や市場で働いていて、日中は家にいることはなく、ネ・ヌヌ・トエさんと妹は、おばあちゃんに面倒をみてもらっています。 奨学金のおかげで、制服、教科書やノートなどをそろえることができ、また塾に通うことが出来て、とても感謝しているとの事です。特に英語が大好きで、少しではありますが、英語での自己紹介などもしてくれました。日本からの奨学金の支援を受けていることもあり、日本語も勉強したいそうです。高校までは歩いて30分以上はかかりますが、何としても高校に行きたい、そして将来はお医者さんになりたいと言っています。先生も出来るだけ、ネ・ヌヌ・トエさんをサポートしていきたいと考えているそうです。


   ネ・ヌヌ・トエさん

   ネ・ヌヌ・トエさんの家

You are donating to : Greennature Foundation

How much would you like to donate?
$10 $20 $30
Would you like to make regular donations? I would like to make donation(s)
How many times would you like this to recur? (including this payment) *
Name *
Last Name *
Email *
Phone
Address
Additional Note
paypalstripe
Loading...