民際センタースタッフ 冨田直樹のカンボジア出張報告① ~1日1食の奨学生スレイモム~
昨年(2014年)12月2日~5日までカンボジアに出張し、プノンペン西南のカンポート県→プレアシアヌーク県(シアヌークビル)→プノンペン→トンレサップ湖の下にあるコンポンチュナン県の3県を訪問しました。
その間、たくさんのダルニー奨学生(中学生)たちに会って話を聞き、彼らの家にも訪問して生活を垣間見ました。
また、職業訓練校にも訪問し、その仕組みと問題点、支援の可能性などを調べました。数回にわたってレポートします。
4年ぶりのカンボジア。
前回は小学生が調査の対象でしたが、2016年度からダルニー奨学金の支援対象が中学生に全面的に切り替わるため、今回は中学生が調査の対象でした。
プノンペンから国道3号を走って南下し、約3時間でカンポートの中学校に到着。最初の中学校で2人の奨学生に会いました。
最初の男子生徒を質問している間、スレイモムは机に右手を伸ばしダランと頭を乗せたまま、ずっと私を見ていました。
スレイモムの番になると、最初の奨学生とほとんど同じ質問だからか、まるで居あい抜きのように即座に短い答えが返ってきます。
薄く小さなソプラノ声。眼差しと声に意志の強さを感じさせるものがあります。
Q.1 好きな科目は?
A.1 科学、特に生物が好き。
Q.2 家での仕事は?
A.2 炊事、洗濯、掃除などです。
Q.3 自由な時間に何をすることが好き?
A.3 読書。人間の体に関することに興味があります。
Q.4 1日、どのくらい読書するの?
A.4 1時間半ぐらい。
Q.5 将来は何になりたい?
A.5 医者。
Q.6 じゃあ、大学に行かなければならないよね?
A.6 (沈黙) ・・・通訳をしてくれたカンボジア事務局長のチャンディが部下のサックラ(24歳)を指して「彼も貧しい家庭の生まれだったけれど、奨学金をもらって大学に行ったんだよ。それまで彼の村で大学に行った人がいなかったんだ。なんとか高校を卒業できれば、大学に行くことも不可能ではないよ」と助け舟を出してくれましたが、それまで冷静だったスレイモムははじめてやや感情的な声になり、少し顔をふりながら、「おお、私にはそんなこと・・・・・」と言ったきり、また沈黙。。。
その目が(私の家庭の事情も知らないで、なに言ってんですか!)と訴えているようでした。
横にいた学校の先生が「この子は成績が抜群で、家庭の事情でお姉さんが落第してスレイモムと同じ学年で勉強していますが、いつもお姉さんと彼女が1番を争っています。ただ、家庭が大変貧しくて・・・」
彼女のことがもっと知りたくなったので、急遽、日程を変更して彼女の家を訪問することにしました。
家まで10キロあるので自動車で行きましたが、かなりのがたがた道で人家が少なく、雨の日はひどい泥道になるはず。
Q.7 通学は大変だね。人が見えないし、こわくない?
A.7 こわいです。途中で誰かに襲われて、自転車を盗られてしまうかもしれないから。
車の中で「ごめん、今、昼食時だよね。お腹、空いていたら車の中で食べていいよ」と言ってもお弁当を出さない。
「ちょっとお弁当、見せてくれる?」と聞くと「お弁当は持っていません。たいてい1日1食。ときどき2回食べることがあります」。
15分ほどで彼女の家に到着すると、夕食用にお母さんが魚を一匹焼いていました。
お父さんは病気で寝たきり。囲いの中に鶏が数羽。
「長女は小5、次女は中1で中退。2人とも結婚しましたが、どちらも貧しく、金銭的な仕送りはありません」とお母さん。
自転車は1台しかなく、お姉さんが運転して、スレイモムが自分とお姉さんの教科書を持って荷台に乗ります(この日、5冊の教科書を持っていました)。
もし自転車が壊れたり盗まれたりしたら、学校に行くことは相当困難になるはずです。
「そうしたら、どうしますか?」とお母さんに聞いてみると「全財産を売ってでも自転車を買ってあげないと・・・」。
しかし貯金はなく、お米のたくわえもなく、所有する田んぼもなく、家を除けば換金できるものは数羽の鶏だけ。
自転車のタイヤがパンクしたら、学校と同じ町にある自転車屋に持っていきますが、「修理代に100円もかかる」そうです。
話を聞き終え、スレイモムを乗せて学校に戻りました。
現在の民際センターの奨学金システムでは彼女を中学までしか支援できません。
道々、どうすれば彼女を大学まで支援できるか考えていました。
奨学生宅を訪問する場合、訪問のお礼にプレゼントを用意するのですが、今回は突然だったのでプレゼントを用意していませんでした。
それで別れ際、チャンディが小額のお金を渡すと、スレイモムはそのお金を大切に握りしめて生徒の群れの中に消えていきました。