奨学生の頑張りに感謝(少数民族教師養成プロジェクトに携わって)
ラオスの少数民族教師養成プロジェクトを担当して7か月。
奨学生の勉強を続けることができるという感謝の気持ち、支援者様の奨学生を家族の様に思いやる優しい気持ちに触れることができ、この仕事に就いて本当に良かったと思っています。
その中で、業務の一つに奨学生のレポートの和訳があります。
奨学生が書いた支援者様へお手紙を訳していて、その内容の多くは、支援者様への感謝の気持ちです。
「家が貧しくて勉強が続けられなかったけど、ご支援のお陰で勉強を続けることができている」という様な心温まる内容です。
日本で生活していると、想像もできない事ですが、勉強が好きで続けたいけれど、今、お金がないだけで勉強が続けられない、その「だけ」で人生の選択が狭められてしまうという悲しい現実がありありと伺えます。どんなに悔しいことでしょう。
そのような、日頃見聞きすることのない悲しさを知り、それを実感している奨学生からの支援者様への心からの感謝の気持ち、彼らの真摯な人柄にも触れることができ、私まで幸せな気持ちになります。
<奨学生の様子>
そのレポートを訳す中で少なからず気づいた事は、勉強を続けることができる喜びを伝えるのと同じぐらいに、「違う文化を持つ生徒が多く集まる短大の生活の中で、様々な人生経験を多く積めた、適応力がついた」という内容です。
実は、日本の常識で言うと、例えば地方から東京に出てきて、なぜそんなに適応力が必要なのかと思ったのです。
日本では、そのような学生の多くは一人暮らしでしょうし、言葉が通じないわけではありません。
ですが、ラオスは、数にして50の少数民族が80もの言葉を話し、人口の4割以上を占めるという多民族多言語国家です。
そこで、民際センターの手掛ける少数民族教師養成プロジェクトでは、子どもたちが、母語ではないラオ語での授業について行ける様に、同じ少数民族出身の言葉を話す先生の養成を支援し、子どもたちが学校の授業についていけるようしています。
そのため、その様な先生を目指す奨学生たちは皆、少数民族出身で、異なる地方から出てきています。
先日、サワナケート教師養成短期大学を訪れる機会を得、奨学生たちと会い、その後、短大の敷地内にある寮に彼女たちを送りながら行って驚きました。
一部屋に16人で生活していたのです。一部屋に16人で生活することの大変さは想像を超えます。
しかも、母語が違うのですからなおさらでしょう。
<男子寮>
<女子寮>
他の寮でも同じような状況で同じ短大に通う生徒の中には、寮を出て何人かで部屋を借り、シェアするケースもあるそうです。
本プロジェクトの奨学生にそのような余裕があるはずもなく、与えられた環境の中で頑張っています。
日本の状況を当てはめていた自分が恥ずかしくなりました。
今回会った、奨学生たちに「勉強も学校生活も大変だと思うけど、頑張って卒業して良い先生になってね。」と励ましたつもりが、今でも私が励まされているようで彼女たちの笑顔が忘れられません。
今回の訪問で、私が、本プロジェクトでやり取りをしているラオス事務所の担当者も少数民族出身と言う事を知りました。
彼女からも、奨学生たちが頑張っている事、まだ、学校に行きたいけど行けない生徒たちがいると聞きました。
そのような生徒の夢と未来、そして、ラオスの平和構築のためにも、今後とも皆様方のご支援をよろしくお願い致します。