「板倉町ラオスの会」がラオス・パクトン村で最後の交流
2015年11月23日朝、パクトン村中央の通りの両側に村人や子どもたちが並び、「板倉ラオスの会」の方々がその中を歩いてお別れをしました。
列に並ぶのは、同会のメンバーから支援を受けた元奨学生のお母さんや以前にお世話になったホストファミリーのお父さん・お母さん。
校長先生や村長さん、パクトン小学校の子どもたちで、20年の間にすっかり顔なじみになった人たちも少なくありませんでした。
<村の中央の通りで最後のお別れ>
群馬県板倉町がラオス・セコーン県にあるパクトン村に校舎を建てたのが1998年。
1996年に建設予定地の下見に出かけた旅行も含めて(建設候補予定地は、最初は別の村でした)セコーン県に10回。
パクトン村には8回訪問して村泊し、子どもたちを支援しながら村人や子どもたちと交流を重ねてきました。
1988年の初年度のタイ奨学金提供者41名のうち7名が板倉町の方でした。
そして、弊センターが97年にラオス支援を始め、さらにラオス校舎建設事業をスタートすると、校舎を拠点に交流できることに魅力を感じて「ラオスに小学校を創る会」を発足させ、1棟700万円(当時)の募金を目標に町内でミニ集会や茶話会などを何度も開いたり出向いたりして辛抱強く説明と寄付のお願いしました。
結果、寄付者は500名に達し、1999年に小学校が完成しました。
<奨学生宅を訪問>
以来、2年おきにパクトン村を訪ねて村に泊まり、村人や子どもたちと楽しく交流してきました。
10回目の今回は最後の訪問ということで、村人の歓迎もいつにも増して盛大で心のこもったものでした。
「板倉ラオスの会」の方々も村に3泊した間、過去にお世話になった家々を訪ねて、お世話になったお礼や挨拶をしました。
2軒のホストファミリーの家には毎晩、村人が集まり、思い出話に花が咲きました。
<支援している奨学生と面会>
なぜ10回も続いたのでしょうか?
ダルニー通信63号で同会リーダーの栗原さんが支援や旅行についてこんなことを書いています。
「村に生きる子どもたちは物質的には恵まれていませんが・・・・・
パクトン村を訪れるたびに、幸せとは何か、豊かさとは何かを考えさせられます。
交流・支援とともに私たちのライフ・スタイルを振り返る旅。この活動や旅行を通じて、私も成長させてもらっていると実感しています」。