もっと勉強したい その①
タイとミャンマーの学校は春に入学の時期を迎えます。ダルニー奨学金を受けることができ、将来への希望を持つことができた子どもたち(新中学1年生と中学3年生)。そして、彼らを見守るダルニー奨学金担当の先生の声をシリーズでお伝えします。今回は来年中学校に上がるプラニルさん、卒業したらコンピューターの専門学校で学ぶと言う中学校三年生のベンジャマス ブリさん。ダルニー奨学金担当の、ブプハ先生の声をご紹介します。
■ プラニル(アモンラッド・ハソク)さん(新中学1年生)
私の名前はアモンラッド・ハソク(ニックネーム:プラニル)です。現在13歳で、小学校6年生です。中学校1年生からはマハーサーラカーム県にあるバンクワオライ中学校で勉強します。私は一人っ子で、両親は私がまだ幼かった頃に離婚しました。ですから、祖母と一緒にトタン板で覆われた古い木の家で暮らしていたのですが、2017年11月25日に祖母は大腸がんのため亡くなってしまいました。私の母と義理の父はアユタヤで働いており、毎月1,000バーツ(日本円で約3,500円)の仕送りをしてくれます。時々、両親は長期休暇の際、私に会いに帰ってきてくれます。現在は近所の人たちに少し手伝ってもらいながら一人暮らしをしています。母からもらう毎月1,000バーツ以外に収入はありません。現在の私のGPA(成績評価指標、4.00点満点)は3.75です。私は歌が得意です。将来はプロの歌手になることを夢見ています。
■ ベンジャマス ブリさん(中学3年生)
中学校1年生から3年間奨学金を受けられたことを大変うれしく思います。私は今年の3月に卒業します。現在は祖父母と生活を支えるために低賃金労働者として働らかなければならない一人の姉と暮らしています。私も週末はトウガラシ畑で働き、1日80バーツ(日本円で約280円)を稼がなくてはなりません。民際センターの奨学金は私の家族を支援してくれました。奨学金のおかげで、家族からお金を出してもらわなくても、私は文房具や学校カバン、靴を買うことができました。もし奨学金を受けることができなかったら、祖父母は私のために家族のお金を使わなくてはならなかったでしょう。中学校3年生を終えたら、私はビジネスコンピュータの専門学校で勉強するつもりです。私の人生で最も印象が強い出来事の一つは、去年、私の学校を訪ねに来てくださった支援者に出会ったことです。私はうれしくて、言葉になりませんでした。家族も私自身もこのような良い機会に恵まれてとてもうれしく感じました。3年間、支援してくださった民際センターと支援者の方に感謝の気持ちを伝えたいです。
■ ブプハ先生(ダルニー奨学金担当の先生)
私は民際センターの奨学金支援に携われることを誇りに感じています。また、民際センターが恵まれない子どもたちの苦境を気にかけてくださっていることを大変うれしく思います。これらの子どもたちは決して良い環境とは言えない、恵まれない家庭に生まれました。彼らは悪意のあるネットやメディアに簡単にアクセスすることができますし、多くのリスクに直面しています。民際センターの奨学金は子供たちがより高い質の生活をおくれるように支援してくださいますし、私も教師として、この奨学金が子どもたちのためになっていることを確信しています。子どもたちが卒業した後も、彼らはいまだに学校に会いに来てくれますし、私を慕ってくれます。このおかげで私は自分の仕事に誇りを持つことができるのです。 民際センターの奨学金のおかげで家庭の出費を減らすことができるのです。奨学生は、家族の金銭的な援助がなくても、新しい靴や靴下、また、新しい服を買うことができます。奨学生のほとんどが行儀よく、周りのことを考えることができます。また、民際センターの奨学金は子どもたちが卒業するまで続けてもらえるところがとても良い所です。私は、何年間か民際センターと一緒に働いていますが、より子どもたちの気持ちを理解することができるようになり、彼らのために自らをささげたいと思っています。
最後になりますが、この奨学金支援に携わっていらっしゃる皆様に心から感謝を申し上げます。
\タイ奨学金の締め切りは3月20日です/