【支援者にインタビュー】支援者が小学校卒業後に消えた・・・奨学生の消息を求めてカンボジアへ
勅使河原さんは1996年からダルニー奨学金をご支援いただいて、現在までタイ、ラオス、カンボジアの3カ国の子どもたちを何十人も支援されてきました。
<奨学生の消息を求めてカンボジアを訪れた勅使河原さん>
Q. さて、今年2月、奨学生に会いにカンボジアに行かれました。小学校の3年間を支援されたV君をさらに中学校3年間も引き続き支援しようと奨学金を振り込まれた後、ご自宅に届いた写真と証書はV君ではなく別の子の写真と証書だったわけですね?
A.(勅使河原さん) その通りです。小学校6年生のV君を中学3年間も引き続き支援しようと思って手続きをしたら、届いた証書は別の子でした。
民際センターに事情を調べてもらったら、V君は国(政府)から奨学金をもらうことになったので、私の奨学金は別の子に提供することになったとの回答でした。
が、どうも納得できず、事情を知りたいと思ったので彼に会いにカンボジアに行きました。
Q. 事情を知るためにカンボジアまで出かけるというのはすごいエネルギーだと思いますが、ただ彼の事情を知りたかったということですか?
A.(勅使河原さん) 実は昨年、中学校を卒業したタイの奨学生を、さらに高校3年間も支援しようと思って調査を依頼したら、高校に進学せずにバンコクで働くことになったという結果でした。高校進学を希望していたのに・・・。
中学卒で得られる仕事などタカが知れているということは彼も承知していると思いますが、彼は両親がいなかったので生活が苦しく、働かざるを得なかったのでしょう。私としては、だから奨学金を提供しようと思っていたのですが・・・。
調査の結果を聞いて「中学のときに彼に会っておけばよかった」と後悔しました。実際に顔を合わせていれば、なんとか高校に行こうと思ったかもしれません。
このことがちょっとトラウマになっていたので、小学校卒で働かざるを得ないとすれば、なんとしても中学校に通い続けて欲しい、そのためにV君にはぜひ会わなければと思ったのです。
もう1つ、カンボジアでは子供の人身売買が大きな問題になっていて、最悪のケースも考慮したのです。
ちょうど正月にラオスに行く予定があり、少し予定を変更してV君が住むコンポンチュナン県T村を訪れました。
<コンポンチュナン県 T村>
Q. 最初に訪問された1月には会えず、2回目の2月に会えたのですね。
A.(勅使河原さん) V君の証書に記載されている学校名とは違った学校に通っていたため、1回目は会えませんでした。
運よくタクシーで連れていってもらったT村の英語学校のS先生に初対面にもかかわらず親切にしていただいて、V君が通っていた学校名を知ることができました。しかしながら「昨年12月以降、プノンペンに行っており、いつ戻ってくるのか不明。プノンペンの住所、連絡先も不明」とのことでした。
私の日程の関係で1回目はそれで終わってしまったのです。
その後、再度民際センターに詳しく調べてもらったところ、「お母さんがプノンペンにいて、お母さんと暮らすため、プノンペンに行った」「小学校から中学校に送られる登録名簿に彼の名前が載っていなかったので、ダルニー奨学金は提供されなかった」「新学期が始まってしばらくしてコンポンチュナン県に戻ってきたので、学校は慌てて政府の奨学金を提供した」「しかし再度、12月にプノンペンに行ってしまった」という連絡がありました。
それで真相を知りたくて再度、カンボジアに行ったわけです。
Q. 今度は会えたわけですね。
A.(勅使河原さん) 2回目もS先生に同行・通訳をしていただき、進学した地元の中学校のC先生とともに、V君のおばあさんの家に行きました。
V君もちょうど運よく一時帰郷でプノンペンから戻ってきていました。
経緯を聞くと、V君のお母さんはプノンペンで働いているのですが、病気がちなので、彼が小学校のころからたびたびプノンペンに行き、お母さんの看病をしていたそうです。(お父さんは証書にはNo dataと記載されており、生まれた時から不在だったようです。)
それで、中学校に進学したのち、12月になり、お母さんの具合が再度、悪くなり長期にわたりプノンペンで滞在することが必要となったため転校したようです。
Q. プノンペンの家に行ってお母さんに会えたのですか?
A.(勅使河原さん) プノンペンの家を訪ねてもよいとの了解をもらい、おおよその場所を聞き、二日後、プノンペンの彼の家に行きました。
ワンルームのアパートで、ベッド以外にこれといった家具のない部屋でした。
お母さんは近くの市場で働いていますが、慢性の病気があり体調が悪くなるたび、仕事を休まざるを得ないそうです。
「胃の病気」と言っていましたが、しばしば、体調がすぐれず仕事に行けなくなるとの症状から、肝炎等重篤な病気の可能性も感じられました。
家賃は60ドルで、その支払いが大きな負担になっているとのことでした。
V君の夢は英語を勉強してさらに上級の学校に行くことです。しかしながら、今の状態ではそれは厳しいと感じました。
タイと比べ、カンボジアは産業が未発達で働く場所が限られており、小卒や中学校中退では貧困から抜け出せません。
今後も何とか、民際センターカンボジア事務局経由でV君への支援を再開し、彼の就学支援を継続きればと願っています。
そして、彼が、夢の実現に一歩でも近づけることができるようになればと、願っております。
<プノンペン市内の様子>
<V君とお母さん>
※カンボジア政府の奨学金は学校単位で数十口提供されますが、提供される学校とされない学校があるようです。
通常は新学期が始まる前に口数と生徒が決まり、新学期が始まってからの新たな追加はないそうです。