【ベトナム】ベトナムの奨学生 日本兵に母を殺された祖父
Mr. NGUYEN QUOC LAC (グェン・コク・ラック) 77 歳
1944年。私は7歳でした。母は日本軍に殺されました。
その時以来、日本に関係するものすべてに憎悪を抱いてきました。私の家には日本製のものはありません。
私にとって「日本」という名は、単なる国の名前ではなく敵でした。
時が過ぎ、私は地方に住む、年老いた、病気持ちの老人になりました。家族は貧しく、孫が十分な教育を受けられるような経済状態ではありません。
小学校卒業後は中学校に行かずに働くように言った日、孫は大声で泣きました。でも、そうするより外に仕方がなかったのです。
ところが、それからしばらくたって、孫が満面の笑顔で帰宅しました。
日本のNGOから奨学金を得て、中学校に通えることになったと言うのです。
「日本だって!日本人を信じるのをやめなさい。私は日本人の残酷さを知っている。日本人が私たちを支援するなんて事を信じてはいけない。
その奨学金を断りなさい」と彼女に言いました。
その後、EDFの職員が何度も家に来ました。奨学金を受け取って孫が中学校に通えるようにしてほしいと私を説得するためです。
そしてついに5度目の訪問で私は彼らの情熱と誠実さに打たれ、奨学金を受け入れました。
私の憎悪が融けてなくなった瞬間です。
私の目が憎しみの感情で曇っていた4分の3世紀の間、日本はベトナムに様々な支援をしてくれていました。
経済的に貧しい子どもたちへの教育支援もその1つです。日本よ、ごめんなさい。私は頑固者でした。
奨学金のお陰で、孫が中学校に通えるようになりました。このことがきっかけで、私は1つの事を学びました。
日本軍と今の日本人は違うということ。
当時の冷血な日本の軍国政府と今の人々の気持ちは違うということ。
奨学金のお陰で私の心から憎悪を取り払い、新しい人生を開くことができました。