奨学金を待つ子どもたち ~カンボジア~1
カンボジアでは、日本と同じく小学校から中学校までは義務教育です。学費は無償ですが地方、例えば民際センターが支援しているカンポット県の中学校における就学率は55%(*)と低く、中退率も15%(*)と日本では考えられないような高さです。カンボジアの地方では経済的に恵まれない家庭が多く、子どもたちが働かなければ、生活が出来ないからです。また、そのような家庭では、両親が揃っていないケースが見られます。病気や事故による死亡、その土地で仕事が見つからないため出稼ぎに出ている、離婚等で片親家庭や両親が両方ともがいないため親戚と暮らしている場合もあります。多くの場合預けられた先の親戚も貧しく、教育を受けることはさらに難しくなり、教育を受けられなかった子どもたちは、その親や親戚と同じく、大きくなっても限られた低賃金の仕事にしか就くことができず、貧困の連鎖は次の世代まで続きます。
今回は、小学校6年生、学校も勉強も大好きで、中学校に進学して勉強を続けたいけれども、経済的に恵まれず、学校に通うことが難しい子どもたちの様子を2回シリーズでご紹介します。
*カンボジア教育省データ 民際センターカンボジア事務所入手
**以下にご紹介する子どもたちはダルニー奨学金を受け取る予定です。
ペアン・ソウキムさん(12才)
ブロック工場の屋外で作業をするペアン
建設現場で家族を手伝うペアン
ペアンの家族は、自分たちの家も農地もありません。両親が働いているブロック工場の片隅に住まわせてもらっています。そのブロック工場での手取りは、1日90,000リエル(日本円で約810円)で、それは両親、ペアンとその妹の家族4人暮らすには十分ではありません。ですが、小学校も卒業していない、十分に読み書きのできない両親はほかに働くところはありません。また、そのブロック工場の仕事は、乾季(11月~翌年5月ごろ)にしかできません。雨期には、工場が閉まるからです。その間は、別の仕事を探さなければならず不安定な生活が続いています。ペアンは、学校が休みの日は妹と一緒にブロック工場の作業を手伝います。彼女は、学校では成績も良く将来は学校の先生になって子どもたちを教えることが夢です。
サオイ・セアさん(14才)
叔父の家の前で
勉強が好きなサオイ
サオイの両親は10年前に病気で亡くなりました。姉と2人、叔父の家に身を寄せていましたが、その叔父から生活が苦しくなるため「2人の面倒は見られない。」と言われ、2人で別の叔父の家に行ったのですが、そこの家庭も貧しかったため、姉は遠慮したのかサオイには何も言わず家を出て行ってしまいました。彼は叔父の家で肩身の狭い思いをいだき、家の手伝いをしながら生活しています。そんな彼の夢は、勉強をして看護師になって病気の人を助けることです。
レン・サネットさん(15才)
家の前で
家の中で勉強するレン
6人兄弟の一番上のレンは、学校での成績はとても優秀です。ですが、彼の家族には、農地もなく、家畜も飼っていません。いつも貧しく彼も働かなければ、生活できない時期が長かったため、レンは15才ですがまだ小学校を卒業していません。両親は、日雇い労働をしていてその日暮しです。生活に足りない分を補てんするため、近所から借金をしているのでその返済もしなければなりません。その様な環境の中でも、彼は一生懸命勉強して、学校の先生になりたいと考えています。
ネール・スレイノエンさん(11才)
家の前で
ご飯を入れる竹の筒を作るネール
ネールは6人兄弟の末っ子で父は彼女が小さい時に亡くなりました。ネールの母は決まった仕事もなく、6人の子どもを育てるためにいつも仕事を探し働いています。たいていは、畑を持つ人の農作業の手伝いをさせてもらっていますが、そこからの収入はごくわずかです。時には、竹の筒にご飯を詰め、それをカンボジアの首都プノンペンに売りに行きます。その時は朝早くに家を出て夜遅くに帰ってきますが1日20,000~30,000リエル(日本円で約540~810円)ほどの収入にしかなりません。ネールの兄や姉は、学校に行くお金がなくて小学校を中退せざるを得ませんでした。ネールは、学校に行きながら放課後や休みの日には母を手伝って竹の筒にご飯を詰めます。
今回紹介した4人は、民際センターが支援するカンボジアの地方における経済的に恵まれない子どもたちのほんの一例です。1年14,400円でこのような子どもが中学校に通えるようになります。教育を受ければ、将来の職業の幅も広がります。何年か後にはその子たちが国を支え、それは、カンボジアの貧困撲滅と平和構築へとつながると信じています。皆様の温かい支援をお願いします。
カンボジアの締切は7月20日です。